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原動力は好奇心!!梅ゴのムードメーカーの実態とは!?
第1章【幼少期・青春時代】
大阪生まれ大阪育ちです。7歳の頃に親が離婚して何も分からないまま父側に引き取られました。お母さんっ子だったのでめちゃくちゃ嫌だったのを覚えています(笑) 結局その後も親と過ごす事はあまり無く、祖母の家に預けられてしまいました。けど祖母が一緒住むのが嫌だったみたいで…嫌みや皮肉を言われながら過ごしていましたね(笑)
小学校・中学校時代、そんなことも気にならないくらい楽しかったですね。アクティブ系だったのでずっと外で遊んでました。地元が大阪の中でも田舎だったので山や川へ遊びにいったり、夜家を抜け出して友達と溜まったり。まぁ良くいる普通の男の子って感じです。
高校は近くの公立高校に行きました。内申点が絶望的に無く、担任に必死に止められたのを覚えています(笑)、兄が私立へ行っていて、家計的に自分も私立へ行ったら終わるなと思っていたので、滑り止めで私立を受けず公立1本の受験でした。落ちたらどうすんねん!!って皆に言われました。定時制やそういった学校へ行くつもりも無かったので、落ちたら働けば良いと(笑)、けど落ちる気がしないと思っていたんですよね。背水の陣です(笑)、そして結果は…テスト点が上位校に受かる位の点数だったので結構余裕で受かりました。
晴れて楽しい高校生活の始まりです。16歳になる1月前からバイクの教習所に通って免許を取り、免許交付タイミングですぐに中型バイクを買いました。行動範囲が広がるので楽しいのなんの(笑) そして免許取ってすぐの頃、地元の友達が行っていた他校へバイクで行ったんですよね。そしたらめちゃくちゃ可愛い子がいて!!友達にあの子誰なん?って聞いたら学年の人気女子やで(笑)って、連絡先聞いてちょっとしたら付き合いました。完全にバイクマジックです(笑)
その時、まだ童貞だったので『早くS〇Xしたい早くS〇Xしたい』って思ってたんですよね。大体の人は親がいない時に自分の部屋でしたりが多いと思います。そんな自分は…【ラブホ】でした。16歳の若造が調子乗りすぎですよね…思い出すと少し恥ずかしいです。初めてですしめっちゃ緊張しましたしね。しかも途中で生理が来たんですよね。めちゃくちゃ焦りました(笑) 電気点けたら血の海です…色々なことが初体験の日でしたね。
その後は別の女の子と付き合ったり、翌日学校でも関係無く夜な夜な朝方とかまで友達とバイクで走りに行ったり、溜まったりバイクいじったり、順風満帆な生活でしたね。そして丁度高校2年になる時でしたか、祖母との不仲がピークに達していて、そしたら姉が「一緒に住む?」って言ってくれたんですよね。姉は昔かなりの不良ですぐに家出していたので、一緒に過ごした記憶もほぼ無く。ただプレゼント持ってきてくれたり旅行連れて行ってくれたり。気にかけてくれてたんですよね。
広い家を借りてくれてすぐ一緒に住みました。姉は水商売をしていたので朝帰り。帰って来てからたまに私の弁当を作ってくれたりと至れり尽くせり。そんな姉の気持ちも裏腹に、夜な夜な朝方まで遊んだり、学校へ行かず、行っても昼からや終礼だけ行ったり。お察しの通り成績が大変な事になって…気づいたら学年最下位になってました。
4科目以上が赤点だと留年、ただ救済措置みたいなのありませんでしたか??大量の課題をやってテスト合格したら追加で点数を貰えて、それを足して赤点じゃなければ赤点取り消しみたいな。私その追加点を加味しても12教科赤点だったんですよね(笑)
\(^o^)/オワタ
って感じでした。
けど何故か留年せず、自分より成績が良い人が留年して退学したり、謎の現象が起きていました。そんなこんなで3年へ上がり、今まで通り好き勝手過ごしてまた謎の現象で無事卒業になったわけです。卒業してすぐ母校へ遊びに行った時、ずっと見てくれていた担任は辞めていて。他の馴染みの先生と会った時です「なんであなたが留年せず卒業出来たか知ってる?〇〇先生(担任)が毎学期、全先生に頭下げに行ってたんだよ!」と。ありがとおおおおお!!!!でしたね(笑) この頃から人付き合い大事やなーとか意識し始めたのかもしれないです。
第2章【社会人へ】
大学や専門学校へは行かないと決めていたので、何しよっかなーって。高校時代バイトしていた某魚屋・寿司屋さんに社員ならない?とか勧誘もありました。飲食やるなら普通に料理人なりたいし。特にやりたいことが明確では無かったので、不動産業界行くか、ってその方向で動いていました。
丁度その時期、別でバイトしていた技術系のバイト先が買収されてオーナーが変わったんですね。そしたらその代表が新しい会社作るから一緒に来て欲しいって。不動産行くんで嫌ですって暫く断り続けてたんですが向こうは折れず。自分もそのうち『まだ18歳やし面白くなかったらすぐ辞めれば良いか』って考えも変わっていき、結局一緒に会社立ち上げの流れになりました。中国との取引も必須の業種だったので会社設立されてすぐに…
「中国飛んで欲しい!!」
って言われてマジかって。なんか昔からニュースで悪い情報ばかり見るじゃないですか?(笑) 餃子に毒入ってたり、肉まんに段ボール入ってたり…やばそうな国やなって思いつつも、知らん世界に行くのおもろそう!!ワクワクが止まらん!!が勝って快く承諾しました。現地に仲間がいるから取り合えず合流してってことですぐに一人で中国へ。
中国の中でも超南の方なのでクソ暑い…自販機の使い方も分からないし、変な商店で買うのも気が引けるなぁ。って事で商業施設にあったウォーターサーバーの水を飲んだんですよね。そしたら昆布を下水で出汁取ったみたいな味がして(笑) すぐに吐き出したんですが時既に遅し。上からも下からもマーライオンです。死にかけになりながらも仲間と合流して今後の流れの話。明日からしばらく滞在して工場に行き、そこの技術を完全にコピーして日本に持ち帰るミッション。器用な方ですし、昔からバイクいじったりと機械系には強かったので自信ありでした。
満身創痍の状態で夕飯。なんかその仲間がアルコールで消毒したら治るとかなんとか…尋常じゃない量の度数の高いお酒を飲まされて、酔いの気持ち悪さで搔き消され翌日には治ってました。(荒療治すぎる…笑)
そして工場へ行き色々情報収集。けど通訳も兼ねている仲間はおらず(笑) どこおんねん!!って聞いたら『私はずっと一緒にいれないですヨ?見て盗んでくださいネ!!』その後は必死にただ見て覚えて吸収しました。この国の人適当すぎって思いましたね。そしてその後帰国し、技術持ち帰って機械とか全部輸入して会社が本格的に稼働って感じです。
在職中、自分はずっと日本と中国を行ったり来たり。第2の故郷って思えるくらい中国で過ごしていました。仕事とは関係ない現地の友人も出来ましたし、街中の人にアプリで話しかけまくって通訳を何人かヘッドハンティングしたり。他にも色々なトラブルに巻き込まれたり刺激的な日々でした。
時が経過して行くと共に、当時の会社立ち上げメンバーは代表を除いて自分一人になりました。20歳そこらの自分以外、皆年上なのに部下になるわけで…色々苦労しましたね、責任とかも増えてきますし。そんな中、2年半くらい経過した頃ですかね。会社の方針で代表と方向性が合わなくなったんです。
僕は会社の環境を改善していくフェーズ
代表はもっとブーストかけていくフェーズ
こんな感じだったと思います。
他にも事業を増やしていたので従業員は疲労困憊。不平不満が自分に押し寄せてくるんです。代表とバトル勃発になり、最終的に現状から変えないと決まり、自分は会社を去る選択をしました。その後すぐして従業員は全員辞めたみたいです。そうなるわなと思いつつ、色々な経験をくれた代表には今でもとても感謝しています。
その後は個人的に付き合いのあった中国人と仕事をしたりしてました。そして丁度中国にいた時、ヤツがやってきたんですよね。
【コロナウィルス】
現地のニュースで日本最初の感染者が横浜港に入港したと。すぐに帰国し、程なくしてパンデミックで鎖国状態に。早く帰国しといて良かった~って今でも思います。中国に取り残されていたかもしれないですからね(笑)
コロナの影響で仕事が暇になったのでこれを機に別の事やってみるかと決断するも、やりたいことも見つからず刺激の無い日々が続きました。自動車関係に手を出してみたり、配信環境作ってゲームめっちゃしたり。次のやりたい事見つける間って虚無になるし、自分腐ってんなぁってなりますよね…皆1回は経験するんじゃないでしょうか??(笑)
第3章【梅田ゴールデン倶楽部】
何しよっかなーって考えている時、夜職が思い浮かんだんですよね。高校卒業して仕事考えていた時に候補の1つにもありましたし、キャバクラやクラブという種類は違うにしても、姉がずっと夜職していましたし偏見とか無かったからです。そして求人サイト見ていた時に梅田ゴールデン倶楽部を発見。秘密倶楽部自体は昔から知っていましたし、なんかその時のバナーが興味をそそりました。
ただ1社だけ受けるつもりは無く、他に2社の面接を受けました。他社→他社→梅Gの順でいざ面接。1社目は新しいグループで激動な感じがして面白そう、20代が多く雰囲気も良さげ、ええやん!って感じでその場で採用になったんですが即決出来ず。理由はサイトに書いていた待遇と実際に話しを聞いた内容に乖離があったんですよね。他にも面接あるんで比較しても良いですか?と伝えて後にしました。
2社目。結構有名な某グループ。事務所がめっちゃ汚かったです(笑) あとおじさんばかりでモサっとしていました。エネルギッシュな感じが皆無でしたし、自分みたいな性格はしんどくなりそう…と思いました。採用になるかは分からないけど、お断りするかなと。面接が終わり、採用不採用関係無く明日にこちらから連絡するので必ず出れる様にしていてくださいと言われたので翌日待機。連絡来ず。適当かよ!!と思いつつ自分がショボかったんかなと(笑) 面接中に嫌やなってのが顔に出てたかもというのも少し反省したり。
そして最後、梅田ゴールデン倶楽部。面接担当の方もそうですが事務所が明るい。フランクな感じがグッドでした。待遇も満足のいく物でしたし受かるかなぁってウキウキしてたんです。そしたら…実は人員多くて今募集ストップしてて、滑り込みで募集来たから面接してるんですけど、採用になったら系列店でも良いですか?って言われて(笑) マジかよ!!店舗型やから朝方まで働くとかも無いし、梅Gが良いんですけどぉ!!と思いつつ。はい、大丈夫です。と返事。採用だったら翌日に連絡するのでよろしくお願いしますと。
翌日。ドキドキしながら待ってたら電話が来たんです。けど心の中で『系列店はやだ!系列店はやだ!(ハリポタ風)』と思いながら電話に出ると、『うちで一緒に働きましょう』と。歓喜しつつ1社目に受けた所にお断りの連絡を入れ、1週間後に初出勤となりました。人が溢れてるのに採用してくれた寛容さに感謝です。
満を持して初出勤。最初は掃除や雑務、そして受付にて接客業務です。元々声が大きいし通るので得意なことやラッキーって仕事してました。その後1か月後くらいに電話対応やその他業務も増えてきました。仕事にも慣れて、先輩も優しいしご飯に連れて行ってくれたり。楽しく仕事出来ていました。そして入社半年後にですね、いらんことしてしまいまして(笑) やり方とかに口出しして、お店自体に嚙みついたりトラブル起こしたり…長くなるので端折りますが(気になる方は応募応募!!)立場は地の底へ落ちました!!爆笑
そんな苦境も物語の1つと思って仕事してました。見返してやろうとかは無く、誰もやりたがらない雑務とかを継続してやることで達成感を得たり。色々なことを楽しみに変換しながら仕事していました。入社してから1年目くらいですかね、見ていてくれた上司から仕事を振って貰えたり。分からないことだらけですがある程度順応していきました。
この記事を書いている時は入社して2年半になりますが、女性関係や担当を任せられたりと地の底からはかなり這い上がったんじゃない??と思ってます(笑) こんな自分でもやっていけてるので、新卒や社会人経験の少ない人、未経験の人でも全然やってけるんじゃない?と思います。面白い経験や変わった経験をした人が多いし、何せ平均年齢が若いのでそういった人達は凄いやりやすい環境です。
そろそろ読むのが飽きて来た方も多いと思うので〆にしますね(笑)
やりたいことが見つからない人!!そんな時は無理に作る必要は無いと思いますし、取り合えず興味持ったことに踏み込みましょう。やりたいことは旅の途中で見つけるものだと思います!!物語を書き続けないとです。面白くなければ違うルートに行けば良い、そのくらいの気持ちで良いと思います。
ここまで見た人は梅田ゴールデン倶楽部に興味があるに違いない…取り敢えず来てみない??(笑)
待ってまーす♪