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勤続8年!!梅ゴ中堅スタッフの経歴を振り返る!!

第1章【幼少期・学生時代】

 奈良県生まれ、奈良県育ちです。生駒市という、田舎すぎない程よい地域です。

 

 

 自分でいうのもなんですが、僕のモテ期はここで使ってしまったなと自信あるぐらい、幼稚園の頃は周りのお母さん達や先生達にめちゃくちゃ可愛がられた記憶があります(笑)

 

 そして外で遊ぶのが好きで活発だった僕は、小4ぐらいでサッカーを始めます。地元のクラブチームに入って、学校が同じ同級生も20人ほど在籍。学校でも一緒、サッカーでも一緒、放課後遊ぶのも一緒、仲良い友達がたくさんいて楽しい日々でした。

 

 5年生ぐらいからサッカーも試合とか増えてきて本格的になってきます。この頃の僕、実はぽっちゃり体系だったんですよね(笑い)ポジションもだいたい決まってくるんですが、体格いいヤツはゴールキーパーをすすめられます(笑)

 

 

 はじめは恐いし、飛び込んだら痛いし、自信なかったんですが、やっているうちに楽しくなってきたんですよね。結局、高校で部活引退するまでキーパー一筋でした。

 

 中学校は地元の公立校に進学、相変わらず学校とサッカーな日々。中3の頃には初めて彼女もできました。どこにでもいる健康的な普通の男の子だった感じですね。そして高校は大阪の私立高校に進学します。これが男子校だったんですよ。

 

 当時の私立の男子校なんて本当に厳しくて、体罰は当たり前、髪型も襟足を伸ばすのが流行だったのに短くしないといけなかったり、ヤ〇ザ顔負けの強面の先生多いし、ここ刑務所かなって思うような学校でしたね(笑)でも相変わらずサッカーは好きだったので、部活はまじめにやっていました。部活なかったら学校行ってなかったやろうなと思います。

 

 高校に進むと行動範囲も人との出会いも一気に広がりますよね。部活やってないヤツってだいたいヤンチャになるじゃないですか。そんな友達も増えてきてヤンチャな遊びも覚えたりして、夜な夜な遊んで学校行って部活行っての日々。睡眠は授業中にとって成績は右肩下がりで、高3の頃には一番成績下ぐらいのクラスでしたね。(笑)

 

 1学年15クラスぐらいあったんですが、成績悪い4クラスの教室が地下の1画だったんですよ。僕もそのクラスにいたんですが、ある日廊下で誰かが喧嘩しだしたんですよ1対1で。そしたら各教室からどんどん野次馬が集まってきて「やれやれ!」って数十人が2人を囲んで見てるわけですよ。「うお~男子校やな~」って3年間で一番感じましたね(笑)

 

 プライベートでは、中3で付き合った彼女と高2になる前ぐらいでお別れしてしまいます。新しい彼女が欲しかったんですが、この頃ヤンキーギャルがめちゃくちゃ好きだったんですよ(笑)何とかヤンキーギャルと付き合いたかったんですが、そういう子ってやっぱガチでヤンチャな男の子が好きじゃないですか。各グループのリーダー的な。

 

 僕はヤンチャな友達と遊ぶけど、部活もまじめにやっていたり、めっちゃヤンチャやった訳じゃないんでヤンキーギャルからしたら良いヤツどまりなんですよ(笑)なんでどちらかといえば、ちょっとヤンチャな男の子が好きな普通の女の子に好かれていたイメージがあります。で結局ヤンキーギャルとは付き合えなかったですね(笑)

 

 ヤンチャで元気なヤツらばかり周りにいましたが、ほんとに良いヤツばかりでした。何かトラブルになりそうな事があっても、「お前は部活あるやろ」ってトラブルに巻き込まれないように助けてくれたり。そんな友達が周りにいたから自分も仲間思いになれたし、今の僕が形成されるのに非常に重要な時間だったなと思います。

 

第2章【やりたい事にチャレンジ】

 高校時代までサッカーばかりでしたが、実はモータースポーツも大好きなんです。父親がF1好きでよくTVで見ていたので、その影響で幼稚園ぐらいから僕もF1好きになり、気付けば父親よりも好きになっていましたね。

 

 F1決勝レースは日曜日開催なので、サービス業だった父親は休みが取れずレース観戦は叶いませんでしたが、一度だけ金曜日の練習走行を観に連れて行ってもらった事があります。もう爆音すぎてビビリ散らかした記憶があります(笑)

でもあの迫力とカッコよさに圧倒されて更に好きになりましたね。自分が育った家庭に何一つ文句ありませんが、もし実家がお金持ちなら確実にカートレースしていたでしょうね。

 

 そして月日は経ち、18歳の時に友達と初めてF1決勝レース観戦に。小さい頃の記憶も薄っすらですし、決勝レースの臨場感ハンパないし、心躍るとはまさにこのことってぐらいテンション上がりまくりました。もう心の中は「乗りたい乗りたい乗りたい」ってF1なんかに乗れる訳ないんですが、レースやってみたい気持ちが爆発します。とはいえレースやっている知り合いもいないし、何をどう始めていいかも分かりません。そもそも運転免許もまだだったので、まずそこから(笑)

 

 当時ガソリンスタンドでアルバイトしていたのですが、そこの先輩から日産180SXを20万円で譲り受けます。今じゃ考えられない価格ですが、当時でも割安にマシンをゲット。夜な夜な峠に繰り出し、アマチュアのドリフト大会に出たりとクルマ遊び三昧な日々でした。が、待てよ俺がやりたいのはレースやんか。身近なクルマ遊びについ手が出てしまいましたが、ちょっとジャンル違うやないかと我に返ります。

 

 ちょうどそのタイミングぐらいでカートをやっているという人と出会い、お誘い頂き練習に同行することに。で割と乗れたんですよね。「まあまあやるじゃん」というところからレースの相談をするようになり、「上を目指すならフォーミュラカーレースに出ないとダメだ」という話から、いよいよ本格的にレースの舞台を目指しだします。

 

 フォーミュラカーとは、まさにF1のようなタイヤが剥き出しの本格的なレーシングカー。F1→F2→F3のように階級があり、入門カテゴリーにスーパーFJというものがあります。そのスーパーFJに参戦しているレーシングチームが、毎年ドライバーテストを開催していると情報を入手。もう飛びつきますよね(笑)

 

 たしか20人前後テストに参加していたと思います。受かるのは3人で、トップ合格は1年間レース参戦費用全額サポート、次は50%サポート、最後は忘れましたが30%サポートにたいな感じで待遇が分かれていました。で、2番手合格の費用50%サポートで受かったんですよ。とはいえ50%負担でも年間でしっかり練習もしたら200万~300万は必要だったと思います。でもこんなチャンス無いと思うし、貯金も収入もレースに全振りして参戦することにしました!

 

 たしか11月ぐらいにテストがありましたので、翌年の春の開幕戦から参戦目指して練習開始です。もう初めてレースカーに乗った時は衝撃的でした。音、振動、何より曲がるスピードが段違いに速いんで横Gがすごかった。乗ったことないけど戦闘機に乗っているような気分でした(笑)

 

 

 そして2年間レースに参戦したのですが、残念ながら優勝できることはありませんでした。そりゃそんな甘くないですよね。ほとんどの選手が小さい頃からカートをやっていたり、一流はすでにホンダ、トヨタ、日産の各自動車メーカーのサポートを受けている選手達です。僕と同じテストでトップ合格した選手は、現在SUPERGT GT300クラスに参戦するプロドライバーになりました。そんな人達と一緒にレースできたことは一生の思い出です。

 

 今思えば、ちょっとカート乗ってそこそこ走れて、その気になった小僧がこんな経験できただけでも十分だと思います(笑)

 

 2年間の参戦で資金も底をつき、スポンサーなしに参戦継続も難しいし、成績も伴っていなかったですしレース活動は終了することになります。高校卒業してからここまで本当に貴重な経験ができましたが、やりたい事ばっかやってきて気付けばもう23歳ぐらいだったと思います。ずっと実家住まいで親にも甘えっぱなしでしたので、ええ加減独り立ちせんとなというタイミングでもありました。

 

 

とういうことで、ここから社会人生活が始まります。

 

 

第3章【就職、転職、そして梅田ゴールデン倶楽部へ】

 これといって技術的なスキルもないし営業職かな?車好きやし車業界かな?これぐらいの感覚で会社探していたところ、縁あって某アルミホイールメーカーに就職することになりました。大阪本社の会社だったんですが、名古屋営業所配属で募集していて「実家出たかったし、ちょうどええやん!」て感じで二つ返事で名古屋へ。

 

こうして名古屋での一人暮らし生活が始まります。

 

 説明が遅れましたが、アルミホイールって自動車部品です。あのタイヤについているパーツです。新車時に装着されている純正ホイールではなくて、レース用だったり、自分好みにドレスアップする用のアフターパーツメーカーになります。ユーザーさんに直接営業販売するのではなく、カー用品店やカスタムショップに卸売りする営業です。初めのうちは、オートバックスや、イエローハットなど量販店への営業がメインで、ある程度知識やスキルが付いてくると、カスタムショップやチューニングショップの担当を任されます。これがめちゃくちゃ楽しかったんですよ。

 

 ショップさんってお店のデモカーっていうのあるんですね。うちこんな車作れますよ~って広告になる車を作って、雑誌に掲載したりモーターショーに展示したりするんですけど、「そのデモカーに是非うちのホイール使ってください」って営業するんですよ。で色々と打ち合わせを経て、いざうちのホイールを装着したデモカーがモーターショーに展示された時には達成感や、やりがいを非常に感じましたね。

 

 あとはドリフト競技のD1グランプリっていうのがあるんですけど、そのドライバーの方のスポンサーもしていてホイールを提供したりもしていました。なのでD1グランプリは関係者として入れちゃったり、ドライバーの人とも普通に話す機会があったり、モータースポーツ好きな僕にとっては最高でしたね。

 

 そういや愛知のローカル番組だったと思いますけど、元プロボクサーの方がやっていた番組に出演したこともあります(笑)番組で愛車をカスタムする企画があって、うちのホイールを気に入ってくださってお話がありました。レアな車でサイズとかもフルオーダーじゃないと作れなかったんで、開発部の方に大阪から来てもらったりで大変だった記憶があります。

おかげでテレビ出演もさせていただいて良い思い出になりましたけどね(笑)とこんな感じで、ただホイールを売るだけじゃない魅力あふれる仕事だったんですよ。しかし辞めてしまうわけなんです、、、

 

 お給料がよくなかったんですね。ほんまに日本の平均年収ぐらいです。その頃の40代の営業所長とかでも年収600万~700万とかだったんじゃないかな?日々カッコイイ車に囲まれているじゃないですか。それを年収600万~700万じゃ手に入れられない確定な未来が嫌だったんですよ。

 

 ある日、上司に質問しました

 

 

「〇〇さんにとって、この仕事のやりがいって何ですか?」って。

 

 

 その答えは「自分じゃ手に入れられないスーパーカーのカスタムに携われるところ」だったんですね。もちろんそれは魅力です。実際に僕もこの仕事やらなければ、身近に縁がないまま人生が終わることになっていたかもしれません。

 

でもね「欲しい!乗りたい!」が勝ってしまうんですね僕は(笑)この会社で働けたからこそ芽生えた感情だったと思います。4年ぐらいこの会社でお世話になったかな?この気持ちが勝って、カッコイイ車買えない確定の未来に見切りをつけて、“稼げる仕事”って思考になるわけなんです。

 

 そろそろ関西も恋しくなってきていたところだったんで、大阪で仕事を探します。そして外資系の損保会社に転職します。安易に歩合の部分に釣られて転職するわけなんですが、保険て“モノ”を売る仕事じゃないじゃないですか?逆に何を売るのか答えよく分かってないですが、信用とか信頼なんですかね?何言うても言い訳にしかならないんですが、肌に合わなくて1年弱で辞めてしまいます。

 

 そしてこの頃、若い時は食わず嫌いみたいな感じで懸念していたけど、別に社会出てみたら夜の仕事も普通の仕事と変わらんのじゃない?で給料良いんやったら魅力的やんって思考になってきてたんです。具体的な動機になる大きな体験があったわけではないんですが、たぶんYouTubeで黒服のドキュメンタリー見たりとか、自分が遊びに行った時のスタッフの方の印象だったり、ちょっとした経験が蓄積されてきていたんだと思います。

 

そして28歳の時に、梅田ゴールデン倶楽部の門を叩きます。

 

 

 現在、勤続8年になります。今こうして就職から現在に至るまでを自分で振り返って思ったんですが、“やりがいがあって、稼げる仕事”を求めていたんだろうなと思います。そして、それが梅田ゴールデン倶楽部にはあります。実際に今までの仕事で一番続いていますし、これかも頑張っていこうと思っています。

 

まず“やりがい”。

 

書き出したらキリないんで一番は何か話しますね。お客様と、在籍女性に笑顔になっていただく仕事だというところですね。お客様には、より良いサービスを提供して、より満足していただいて笑顔になっていただく。これは普通のサービス業と同じだと思います。

 

 女性には、健康的にお仕事していただいて目標を達成してもらい笑顔になってもらう。一言でいうとこうなりますが、この中にやりがいがたくさん詰まっています。

 

 健康的に働いてもらうには、女性にとって相談者となる存在は不可欠だと思います。何の壁にもぶち当たらず、悩みもなく成功する人はいないと思うので、スタッフとしてそういう相談ができる存在になり信頼を得られたとき、やりがいを感じると思います。そして、笑顔で健康的に頑張ってほしいという気持ちになると思います。

 

 “稼げる”これは求人情報ご覧の方はご存じの通り、普通の仕事よりも初任給が高水準ですよね。そして役職者になれば、どんどん稼げます。店長クラスの方は年収ウン千万円。やらしい話ですが、みんな高級外車乗って趣味も謳歌してますよ(笑)けどやっぱ憧れを抱ける未来があるかって本当に重要だと思います。

 

 僕もまだまだ半人前、道半ばです。何千万もする高級外車は買えません(笑)けどどうですかね、普通のサラリーマンしているよりは趣味にもお金使えるし、欲しいものもある程度買えている方なんじゃないかなと思います。

 

 長くなりましたが、僕にとっては“やりがいがあって、稼げる仕事”であることは間違いありません。やりがいは人それぞれなので、もし僕の話に共感や興味を抱いてもらえる方には、もしかしたら向いているかもしれませんね。

 

 また転職者がほとんどなので、色んな経験をしてきた人ばかりです。そういった意味でも何かしらの刺激がある集団なのかなとも思います。次はどんな経歴の方と一緒にお仕事できるか楽しみですね。

 

新しい仲間との出会い、心待ちにしております。

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