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思い立ったら即行動。成長したいあなたへ。

第1章【幼少期】


何不自由ない生活から、一転して始まった人生

 

 私は広島県で生まれました。母は山口県、父は広島県出身。父は不動産関係の仕事をしており、幼少期の記憶を振り返ると、いわゆる「裕福な家庭」だったと思います。

 

 大型連休になれば、グアムやハワイなど海外旅行に連れて行ってもらい、物欲で困った記憶もありません。教育にも厳しく、小学校入学と同時に塾へ通わされていました。後から聞いた話では、中学受験も視野に入れていたそうです。

 

 通っていた小学校は、開発されたばかりの新しい地域にあり、とても綺麗な校舎でした。校風はかなり厳しく、友達同士でも必ず「君」「さん」付け。呼び捨ては禁止。当時はそれが普通だったので、特に疑問も持たずに過ごしていました。

 

 そんな生活が、小学4年生の時に一変します。父と母が離婚しました。理由は、父が仕事で大きな問題を起こしたこと。詳しいことはいまだに聞かされていませんが、警察に関わる案件だったことだけは確かです。

 

 狭い地域だったこともあり、噂はすぐに広まりました。私と母は“逃げるように”母方の実家へ移り住むことになります。それまで住んでいた、比較的裕福なエリアから一転、田舎の地域での生活。正直、カルチャーショックは大きかったです。

 

 まず子どもたちの雰囲気が全然違う。一言で言えば「野生児」(笑)。
活発さも、やんちゃさも、今までとは桁違いでした。子どもながらに「なんでこんな所に来てしまったんだろう」と本気で思っていました。

 

 ただ、人間の適応力ってすごいもので。1ヶ月もすれば完全に馴染み、気付けば自分が中心になって騒いでいました(笑)。今思えば、これが私の“環境適応力”の原点だったのかもしれません。

 

第2章【小学校後半〜中学】


野球にのめり込み、初めて味わった挫折

 

 その環境で、私は野球を本格的に始めました。元々野球は大好きで、ゲームでも「パワプロ」ばかりやっていましたが、クラブチームに入るのは初めて。所属したチームは県内でも有名な強豪。県大会で準決勝・決勝に進むのが当たり前のチームでした。指導はかなり厳しく、平成の時代でしたが、昭和の名残を感じるような指導方法。当時はキツかったですが、今となっては精神的に本当に鍛えられたと思っています。

 

 ポジションは最初ファースト。途中からキャッチャーに転向しました。
理由は単純で、城島健司が好きだったからです(笑)。そのまま同じ地域の中学校に進学し、迷わず野球部へ。体格もよく、実力にも自信がありましたが、中1と中3の差は想像以上。「これは敵わないな」と、すぐに現実を突きつけられました。

 

 ただ、中3の先輩が引退するまで半年もありません。新チームになったら、必ず中心選手になってやろう。そう心に決めて練習に打ち込みました。

 

 新チーム発足時、背番号は「2」。キャッチャーとしてレギュラーを獲得します。正直、先輩に対して申し訳なさはありませんでした。勝負の世界ですから。ただ、経験不足によるミスも多く、悔しい思いもたくさんしました。それでも必死で食らいつき、1つ上の世代と同じグラウンドで堂々とプレーできるようになっていきました。

 

第3章【中学後半】


天狗、挫折、そして道を踏み外す

 

 中学2年の夏頃から、少しずつ変化が起きます。駅前が栄えている地域だったため、自然とたまり場は駅前に。最初は「繰り出す」だけで楽しかったのですが、先輩や他校の生徒と出会ううちに、悪い影響も受け始めます。それでも野球が最優先。本格的に道を外れるのは、もう少し先です。

 

 野球では、市内ではそこそこ有名な選手になり、「俺、センスあるんじゃない?」と完全に天狗になっていました。そんな時、他市・他県の強豪が集まる大会に出場します。


自信満々で臨んだ結果は――


3打席3三振。


 バットに一度も当たらず、チームも惨敗。「上には上がいる」この日ほど、それを痛感した日はありません。さらに追い打ちをかけるように、そのピッチャーのチームが次の試合でコールド負け。自分の自信は、跡形もなく崩れ去りました。人生で初めての、本当の挫折でした。

 

 そこから、野球への熱が一気に冷めます。外に居場所を求め、やんちゃに拍車がかかっていきました。そして、中3の6月。集団心理の中で起こした、取り返しのつかない事件。結果、野球部を退部。当時の私は反省すらしていませんでした。むしろ「箔がついた」と思っていたほどです。高校進学も諦め、「卒業したら現場仕事でいいや」そんな将来像しか描いていませんでした。

 

第4章|高校時代


人生を変えた北海道での3年間

 

 

 そんな私の前に現れたのが、母の兄でした。わざわざ東京から来て、持ってきたのは高校のパンフレット。全国の非行少年・引きこもりを受け入れる、北海道の全寮制高校。正直、内容を見た瞬間に「行きたい!」と思いました(笑)。今思えば、相当な学費がかかっていたと思います。当時は感謝もできませんでしたが、卒業後にしっかりお礼を伝えました。

 

 北海道での寮生活は、刺激とトラブルの連続。でも、かけがえのない経験ばかりでした。学校行事にも全力で取り組み、生徒会副会長を務めるまでに。親が一番驚いていたと思います。

 

 

 しかし、まだまだクソガキ。高校3年時、再び問題を起こし、退学寸前に。何時間も続いた生徒指導。最後は「認めるか、退学か」という選択。親の顔が浮かび、初めて本気で反省しました。

 

結果、無期謹慎。


 留年ギリギリでしたが、なんとか卒業。この3年間が、間違いなく今の自分の土台です。

 

第5章|社会人〜夜の業界


現実を知り、数字と責任を学ぶ

 

 高校卒業後、地元で電気工事会社に就職。しかし仕事にやりがいを感じられず、すぐに限界が来ました。「このままじゃダメな大人になる」そう思い、地元を出る決断。行き先も決めず大阪へ。資金が尽きかけ、【大阪 高収入 求人】で見つけたのが夜の業界でした。

 

 

 セクキャバからスタートし、その後、大手風俗グループへ。ここで数字・評価・責任を徹底的に叩き込まれます。甘えが一切通用しない環境。今の仕事観は、ここで形成されました。

 

第6章【起業〜梅田ゴールデン倶楽部との出会い】


「自分なら出来る」という過信と、現実を知った時間

 

 大阪の大手風俗グループで4年間働き、数字・評価・責任という世界を経験しました。当時は結果も出ており、社内評価も悪くありませんでした。正直に言うと――飽きてきたという感覚が強かったです。

 

 

「やれることは大体やった」
「ここに居続けても成長はないんじゃないか」


そんな風に思い始めていました。

 

 今振り返ると完全に勘違いですが、当時は「これだけ結果を出してるんだから、自分一人でも出来るだろう」と本気で思っていました。会社の看板、組織の力があってこその結果だったにも関わらず、それを自分の実力だと過信していたんです。

 

 思い立ったら即行動。準備を始め、退社し、起業しました。同業種だったため、運営自体に大きな問題はありませんでした。一番苦労したのは求人です。女性が集まらなければ始まらない世界。最初は本当に苦戦しました。ただ、時間をかけて少しずつ女性も揃い、売上も安定し、生活にも余裕が出てきました。

 

 そこで、完全に慢心が始まります。スタッフを雇い、自分は現場に出ず、遠隔で指示を出すだけ。365日仕事でもあり、365日休みでもある。そんな生活の中で、気付けば・昼夜逆転・遊び中心・緊張感ゼロ。売上は上がっているのに、自分の中ではどんどん面白くなくなっていきました。「このまま続けても、成長はない」「何かあれば常に対応しないといけない生活にも疲れた」そして何より、このままじゃ、またダメな自分に戻るという不安が大きくなっていきました。

 

 そこで出した結論が店を売って、もう一度やり直すという決断です。そのタイミングで出会ったのが梅田ゴールデン倶楽部でした。業界にいれば誰もが知る名前。「一流店」「常に忙しい」「簡単には上に行けない」そんなイメージしかありませんでした。

 

 だからこそもう一度、自分を追い込みたい・甘えを断ち切りたい・本気で勝負したい。そう強く思い、すぐに連絡をしました。

 

第7章【現在】


本気で向き合う環境で、もう一度人生を積み上げる

 

 面接当日。店内に入った瞬間、空気感が違いました。スタッフの挨拶、活気、スピード感。「あ、ここは本物だな」と直感的に感じました。面接自体は意外にもフランクでしたが、正直、不安もありました。

 

「経験が長い分、逆に使いづらいと思われないか」
「もう若手じゃないし、大丈夫かな」

 

 そんな気持ちもあり、不採用の可能性も覚悟していました。翌日、採用の電話をもらった時は、本当に嬉しかったです。

 

「もう一度、組織で本気になれる」
「ここから成り上がってやる」


そう強く思いました。

 

 ただ、現実は甘くありませんでした。それまでの自堕落な生活のツケが一気に来ます。体力がもたない。体も太っている。正直、かなりキツかったです。そんな時、当時お世話になっていた先輩から「痩せなさい」と強く言われました。

 

 そこから徹底したダイエットを決意。食事管理・生活改善を本気でやり、2.5ヶ月でマイナス20kg。「人間、決めたら本当に変われる」そう実感した出来事でした。

 

 入社から約4ヶ月後、女性求人担当としてのチャンスが巡ってきます。当時、求人結果が思うように出ておらず、「やってみるか?」と声を掛けられました。

 

 正直、これはチャンスだと思いました。これまでの経験、知識、やってきたこと。全部ぶつけようと決め、全力で取り組みました。結果、翌月には応募数・面接数ともに約3倍。嬉しさよりも「間に合ってよかった」という安堵の方が強かったのを覚えています。

 

 そこから新人女性対応・面接・求人戦略など、重要な業務を任されるようになります。責任もプレッシャーも大きい。でも、それ以上に仕事が楽しいと感じられるようになりました。

 

 特に2023年は、売上・在籍女性ともに苦戦した1年でした。何をやっても上手くいかない。結果が出ない。正直、しんどかったです。ただ今振り返ると、あの1年があったから


【深く考えるようになった】
【感情で動かなくなった】
【人としても成長できた】

 

そう思えます。

 

 そして2025年11月。店長に昇格。嬉しさと同時に、とてつもない重圧を感じました。歴史があり、規模も大きい店。簡単な仕事ではありません。それでも「やってやる」その気持ちしかありません。

 

今がゴールではなく、今がスタートライン。

 

 お店をもっと良くしたい。女性にも稼いでほしい。スタッフにも稼いでほしい。本気で向き合うからこそ、大変なことも悩むことも多い環境です。

 

「今より良くなりたい」

 

「本気で成長したい」

 

そんな人にとっては、これ以上ない環境だと思っています。

 

ぜひ、飛び込んできてください。

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