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韓国カジノディーラーから風俗業界へ。24歳スタッフが語る人生の転機。

こんにちは!山田です。

今回は私が「梅田ゴールデン倶楽部」で働き始めるまでの経緯と、働き始めてからどう変わったかについてお話しさせていただきます。まずは簡単に自己紹介をさせてください!

 

年齢: 24歳(平成13年生まれ)

出身: 兵庫県

趣味: PC、ゲーム、車、ポーカーなど

ウメゴ歴: 20254月から。


第1章【取扱説明書が愛読書!?】

 

 兵庫県明石市で生まれ育ちました。明石市は子育て支援が充実していて、公園も多く、子どもを大切にしてくれる街です。私自身ものびのびと育ち、幼少期の思い出は外で遊んだ記憶と、家で夢中になって好きなことをしていた記憶ばかりです。長男ということもあり、今思えばかなり甘やかされて育ったのかもしれません(笑)。

 

 物心がついた頃から、とにかくメカやゲームが大好きでした。幼稚園の入園祝いにはゲーム機を買ってもらい、毎日のように遊んでいたそうです。ただ、ゲームが好きだった一方で、それと同じくらい「仕組み」を知ることにも興味がありました。

 

 新しいゲームを買えば説明書を最初から最後まで読む。家電を買い替えれば取扱説明書を読む。大人が読むような本にも興味を持ち、分からない漢字は両親に聞きながら読み進めていたそうです。今思えば、「どうしてこうなるんだろう」「どういう仕組みなんだろう」と考えることが昔から好きだったのだと思います。

 

 小学校では一生付き合える友人にも恵まれました。学校が終われば毎日のように友達と遊び、家に帰ればゲームや読書。とても自由で楽しい毎日を過ごしていました。とはいえ、学校生活は決して優等生ではありません。宿題を忘れることもありましたし、忘れ物も多いタイプでした。先生にはよく注意されていた記憶があります(笑)。

 

 それでも、不思議と勉強そのものは嫌いではありませんでした。読書をする習慣が身についていたおかげか、文章を読むことには苦労せず、テストでも大きく困ることはありませんでした。この頃から、自分が好きだと思ったことには時間を忘れるくらい夢中になる性格は今も変わっていません。

 

第2章【運命の「ディーラー」との出会い

 

 中学校に入っても、マイペースな性格は変わりませんでした。部活動には入らず、放課後はまっすぐ家へ帰って趣味に没頭する毎日。後から知ったのですが、部活動が半ば強制だった私の学年で、入部届を提出しなかったのは私を含めて2人だけだったそうです(笑)。

 

 この頃から興味のあることは、とにかく全部やってみる性格でした。車やバイクの動画を見漁ったり、楽器に触れてみたり、パソコンを自分で組み立てたり、ゲームをやり込んだり。「面白そう」と思ったことには片っ端から挑戦していました。一つのことに興味を持つと、とことんのめり込むタイプなので、気付けば睡眠時間を削ってしまうこともよくありました。もう少し健康的な生活を送っていたら、今頃あと数センチは身長が伸びていたかもしれません(笑)。

 

 そんなある日、何気なくインターネットで見つけた海外カジノの映像が、私の人生を大きく変えることになります。最初はギャンブルに興味を持ったわけではありません。私の目を奪ったのは、テーブルを仕切るディーラーでした。

 

 カードを美しく配る姿。無駄のないチップさばき。流れるような手の動き。お客様との自然なコミュニケーション。まるで一つのショーを見ているようで、「なんて格好いい仕事なんだろう」と一瞬で引き込まれました。気付けば、何度も同じ動画を見返し、ディーラーの手元ばかり見ていました。その時、生まれて初めて「将来はこの仕事がしたい」と思えたのです。

 

 夢が決まると、不思議なくらい行動も変わりました。ディーラーを目指すなら、語学力や国際感覚が必要になる。そう考え、国際色の強い高校へ進学することを目標にしました。ところが、当時の私は勉強とは程遠い生活を送っていました。宿題は最低限。定期テストも決して良い成績ではなく、内申点は壊滅的。先生からは「無理をせず、今の成績で行ける高校を受験した方がいい」と言われるほどでした。それでも、どうしても夢を諦めたくありませんでした。

 

『本番の試験で逆転すればいい。』

 

 そう決めてからは、それまでの自分が嘘のように勉強へ打ち込みました。約半年間で中学3年間の内容を一気に復習し、毎日机に向かい続けました。趣味に費やしていた時間も勉強へ回し、とにかく目の前の目標だけを見て走り続けました。

 

 その努力が実を結び、第一志望だった国際色豊かな高校へ逆転合格。この経験を通して、「本気でやりたいことが見つかれば、人はここまで頑張れるんだ」ということを、身をもって実感しました。

 

第3章【順風満帆からのコロナ禍】

 

 高校では一転、人間関係や部活動にも積極的に参加する、いわゆる「高校デビュー」を果たしました。興味を持ったことには何でも挑戦したい性格だったので、1日市長体験など学校生活以外の活動にも積極的に参加していました。

 

 勉強も部活も遊びも全力で楽しみ、高校生活は本当に充実していたと思います。大学進学も高校入学当初から逆算して準備を進めていたため、大きくつまずくこともなく希望する大学へ進学することができました。

 

『このまま順調に留学して、その先でカジノディーラーへの道も開ける。』

 

 そんな未来を思い描いていました。しかし、2020年。大学へ入学した直後、世界中を新型コロナウイルスが襲います。私の通っていた大学は「校内では英語のみ」「1年間の海外留学が必須」という国際色豊かな環境でした。だからこそ、オンライン授業への切り替えや留学計画の延期は、本当に大きな衝撃でした。

 

 せっかく思い描いていた大学生活が、一瞬で変わってしまったのです。もちろん落ち込みました。ですが、落ち込んでいるだけでは何も変わりません。

 

『同じ学費を払うなら、受けられる授業は全部受けよう。』

 

 そう考えた私は、自分の学部だけでなく他学部の講義まで積極的に履修し始めました。興味のある授業はとにかく受ける。分野を問わず知識を吸収する。気が付けば毎日パソコンに向かい、昼夜問わず勉強する生活になっていました。

 

 周りからは『そんなに授業を受けてどうするの?』と言われることもありましたが、新しい知識を得ることが純粋に楽しかったんです。夢中になりすぎて体調を崩してしまうこともありましたが、それも今では良い思い出です。

 

 そんなある日、恩師との何気ない会話の中で、自分の原点を思い出しました。

 

『そういえば、君は何を目指して大学へ来たんだっけ?』

 

その一言で、ハッとしました。

 

『そうだ。僕はカジノディーラーになるためにここまで頑張ってきたんだ。』

 

 そこから行動は早かったです。すぐに大阪のディーラースクールへ通い始め、授業が終われば技術練習の日々。さらにアミューズメントカジノでも実践経験を積み、カードさばきやチップさばき、接客技術を一から磨いていきました。大学生活とアルバイト、そしてディーラーの練習。忙しい毎日ではありましたが、不思議と苦だとは感じませんでした。

 

『夢に近づいている。』

 

 その実感があったからです。そして、その積み重ねが後に人生を大きく変える一本のメールへとつながっていきます。

 

第4章【韓国でのカジノディーラー生活】

 

『韓国の大手カジノが日本人ディーラーを募集します。』

 

 その一文を見た瞬間、心臓が高鳴ったのを今でも覚えています。海外のカジノで働く。それはディーラーを目指し始めた頃から、漠然と思い描いていた夢でした。募集人数はわずか数名。当然、全国から応募が集まる狭き門です。「受からなくても、挑戦しなかった後悔だけはしたくない。」そんな気持ちで応募しました。

 

 当時の私は韓国語が全く話せません。知っている言葉は「アンニョンハセヨ」くらい。英語も日常会話程度で、正直、不安しかありませんでした。それでも面接では、「言葉はあとから覚えられる。でも技術と接客は今まで積み重ねてきたものだ。」と自分に言い聞かせ、実技試験に全力を注ぎました。

 

 ディーラーの仕事は、カードを配るだけではありません。カードを扱うスピード、チップを数える正確さ、お客様への気配り、立ち姿勢、視線、指先の動き。一つひとつが評価対象になります。緊張で手が震えそうになりながらも、今まで何千回も練習した動きを信じてやり切りました。そして数日後、「採用決定」の文字を見た瞬間、本当に飛び上がるほど嬉しかったです。

 

 

 韓国へ渡ってからは、人生で初めての海外生活が始まりました。知らない土地、知らない文化、知らない言葉。最初はコンビニで買い物をするだけでも一苦労でした。電車に乗るだけでもスマホとにらめっこ。飲食店では注文すらまともにできません。「海外で働く」という夢の裏側には、こんなにも大変な毎日が待っているのかと思いました。それでも不思議と帰りたいとは思いませんでした。毎日が新鮮で、自分自身が成長していることを実感できたからです。

 

 職場へ行けば、そこはまさに別世界でした。煌びやかな照明、高級ホテルのような内装、世界中から集まるお客様。目の前では、日本ではなかなか見ることのない金額のお金が飛び交います。数百万円、数千万円、時には億単位のお金が一晩で動くこともありました。勝って笑顔になる人、負けて言葉を失う人、仲間と抱き合って喜ぶ人、怒りを抑えきれず感情を爆発させる人。

 

 カジノは、お金だけではなく「人間の感情」が一番見える場所でした。私はその最前線で、お客様と向き合う仕事をしていました。ディーラーはゲームを進行するだけではありません。テーブル全体の空気をコントロールする役割があります。ゲームをスムーズに進めること、ルールを公平に守ること、お客様全員に気を配ること。一瞬のミスが大きなトラブルにつながる世界だからこそ、高い集中力が求められました。数時間立ちっぱなしで働くことも珍しくありません。少しでも集中力が切れると、チップの数え間違いやカードミスにつながります。毎日が真剣勝負でした。

 

 もちろん楽しいことばかりではありません。言葉が通じず悔しい思いをしたこともあります。文化の違いに戸惑うこともありました。失敗して落ち込んだ日も何度もあります。それでも、その経験があったからこそ、「自分から動くこと」「相手の表情や仕草を見て考えること」の大切さを学びました。

 

 言葉が通じなくても、お客様に安心して楽しんでもらう方法はいくらでもあります。笑顔、アイコンタクト、立ち振る舞い、細かな気遣い。接客の本質は言葉だけではないことを、この仕事から教えてもらいました。

 

 韓国で過ごした時間は決して長くはありませんでした。しかし、自分の人生の中では間違いなく一番濃い時間だったと思います。海外という未知の環境へ飛び込み、多くの人と出会い、多くの価値観に触れました。そして何より、「挑戦して良かった」と心から思える経験になりました。今の私が新しい仕事にも積極的に挑戦できるのは、この韓国での経験があったからだと感じています。

 

  

 

第5章【日本での職探し】

 

 順調だった韓国生活ですが、情勢の変化やビザの関係で、突如帰国を余儀なくされます。正直、最初はあまり実感がありませんでした。海外で働くということは、良くも悪くも契約やビザに大きく左右されます。日本の会社のように、ずっと同じ場所で働き続ける前提ではない部分もあります。

 

『海外の仕事って、こういう形で終わることもあるんだな。』

 

 そんな風に、少し他人事のように受け止めている自分もいました。ただ、就労ビザが切れてしまえば、その国で働き続けることはできません。夢だったカジノディーラーの仕事を離れることには寂しさもありましたが、現実的に日本へ帰るしかありませんでした。

 

 帰国してから、最初に直面したのはやはりお金の問題です。韓国での生活が終わり、日本に戻ってきたものの、次の仕事が決まっているわけではありません。故郷に戻った安心感はありましたが、同時に「このまま何もしないわけにはいかない」という焦りもありました。

 

 韓国へ行く前にやっていたポーカー関係の仕事に戻ることも考えました。ただ、ポーカー業界は思っている以上に狭い世界です。知っている人も多く、戻りにくさもありました。自分の中でも、一度海外で大きな経験をした以上、同じ場所に戻るより、別の環境で新しい挑戦をしたいという気持ちが強くなっていました。

 

 とはいえ、普通のアルバイトに戻るのも少し違う。せっかく海外で接客を学び、大きなお金が動く現場で働いてきたのだから、その経験を活かせる仕事がしたい。なおかつ、同年代よりも稼げて、成長できる場所を探したい。そんな思いで求人を探している中で、目に留まったのがナイトワーク業界でした。

 

 最初は正直、業界に対する不安もありました。どんな人が働いているのか。怖い雰囲気ではないのか。未経験でも本当に大丈夫なのか。自分にできる仕事なのか。分からないことだらけでした。それでも、接客業であること、高収入を目指せること、そして実力次第で評価される世界であることに魅力を感じました。

 

 いくつかのグループや店舗の求人を見比べ、家から通いやすい距離にある数店舗へ応募しました。その中で、特に印象に残ったのが秘密倶楽部グループでした。理由は、とにかくレスポンスが早かったことです。応募してからの返信、面接までの流れ、説明の分かりやすさ。どれもスムーズで、「ここはちゃんとしているな」と感じました。

 

 ナイトワーク業界に対して少し不安を持っていた私にとって、この対応の早さと丁寧さは大きな安心材料でした。面接でも、無理に良いことばかりを言われるのではなく、仕事内容や大変な部分もきちんと説明してもらえました。その時に、「このグループなら信頼できるかもしれない」と思ったのを覚えています。

 

 その後、店舗代表からの勧めで「梅田ゴールデン倶楽部」へ異動となりました。最初にウメゴへ来た時、率直に感じたのは活気の違いです。スタッフの動き、お客様からの電話、女性キャストさんへの対応、店内の空気感。どれを見ても忙しく、勢いのあるお店だとすぐに分かりました。

 

章【ウメゴ生活のスタート】

 

 正直、最初は圧倒されました。電話は鳴る。受付は動く。案内も入る。ホームページも更新する。自分が今どこを見て、何をすればいいのか分からなくなることもありました。韓国のカジノで働いていたとはいえ、日本のナイトワークはまったく別の世界です。接客経験があるから大丈夫だと思っていた部分もありましたが、実際に働いてみると覚えることは山ほどありました。

 

 特に苦労したのが、報連相です。コロナ禍で大学生活を過ごし、新卒として海外で働いていた私は、日本の職場で求められる細かな報告・連絡・相談の感覚がなかなか身についていませんでした。自分では大したことではないと思っていたことが、実はお店全体の動きに関わる重要な情報だったりします。

 

 小さな確認を怠ったことで、先輩に迷惑をかけてしまったことも何度もあります。ミスをするたびに落ち込みました。

 

『自分は本当にこの仕事に向いているのか。』

 

 そう思った日もあります。それでも、先輩方は根気強く教えてくれました。ただ怒るのではなく、なぜそれが必要なのか、次に同じミスをしないためにはどうすればいいのかを、一つひとつ教えてくれました。何度も失敗して、何度も注意されて、それでもまた挑戦させてもらえる。その環境があったからこそ、私は少しずつ仕事を覚えることができました。

 

 帰国したばかりの頃は正直、自分の将来がはっきり見えていませんでした。夢だったカジノディーラーの仕事が終わり、日本で何をしていくのかも決まっていない状態でした。しかし、ウメゴに来てからは、毎日やることがあり、覚えることがあり、目の前に成長のチャンスがありました。何も分からない状態からでも、真剣に向き合えば仕事を任せてもらえる。失敗しても、次に活かせばまたチャンスをもらえる。そう思える環境に出会えたことは、帰国後の私にとって本当に大きな転機でした。

 

そんな中、店長に『挑戦したいことはある?』と声をかけてもらいます。

 

第6章【現在へ】

 

 店長から「挑戦したいこと」を聞かれた私は、以前から興味のあった広告媒体の担当を希望しました。ホームページや各種媒体、SNSなどを見ることが昔から好きで、「自分ならもっとこうしたい」と考えることが多かったからです。とはいえ、入社してまだ1年も経っていません。そんな私に広告という重要な仕事を任せてもらえたことには、本当に驚きました。同時に、「期待に応えたい」という気持ちも強くなりました。広告担当になってからは、毎日数字と向き合う生活です。

 

 ページのアクセス数、予約の数、クチコミなど、数字は嘘をつきません。同じイベントを告知する場合でも、タイトルを少し変えるだけで閲覧数が大きく変わることがあります。掲載する画像を1枚変えただけでクリック率が上がることもあり、「広告ってこんなにも奥が深い世界なんだ」と驚きました。

 

 今では、

「どうすればもっと多くの人に読んでもらえるのか」

「どうすれば来店したいと思っていただけるのか」

「どうすれば来店してみようと思っていただけるのか」

を毎日考えながらページを制作しています。

 

 試行錯誤を繰り返しながら作ったバナーや告知を見て、お客様から「バナーを見て電話しました」「このイベントを見て来ました」と言っていただける瞬間は、本当に嬉しく、大きなやりがいを感じます。これからも広告媒体を通じて、もっと多くのお客様に梅田ゴールデン倶楽部の魅力を届けられるよう、日々挑戦を続けていきたいと思っています。

 

  

 

最後に

 

 ウメゴは、経歴や年齢に関係なく、やる気があれば新しい仕事を任せてもらえる環境です。 約1年が経ちましたが、同年代でこれだけの経験・成長、そして報酬を得られている人はなかなかいないと自負しています。ただし、楽な仕事ではありません。うまくいかないこと、ミスをして落ち込んでしまうことなど多々あります。

 

「大変だけれど、それに見合った成長と報酬が欲しい」

 

 もしあなたがそう思うなら、ぜひ一度面接に来てみてください。 新しい仲間にお会いできるのを楽しみにしています!

 

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